月刊 三代目!!

2023.08.31

[月刊 三代目!! 002]大田区からロンドン、旗の台を経由し、また大田区へ。(2023年8月)

みなさん、こんにちは。株式会社三輝の代表、阿部拓也です。

先月より始まった連載『月刊 三代目!!』。初回となった前回お知らせした通り、今日は私の若い頃を振り返りながら、会社経営を進める上での思いを紹介したいと思います。今回はその1回目。社会人になった私が、父が二代目の社長として経営していた三輝に入社するまでを追っていきたいと思います。

私の学生生活は、とても褒められるようなものではありませんでした。高校を卒業したあと、製図をメインで学ぶ専門学校に入学したものの、若気の至りか、遊びの方にばかり興味がいってしまい、その学校を1年で辞めてしまいます。

そこからの約1年は、“ブラブラ”するだけの生活。当時、お付き合いしていた女性に「働きなよ」と促されてアルバイトにいった有楽町の金券ショップも、仕事自体はとても楽しく、ともに働く仲間ともいい関係を築けていたにもかかわらず、生まれ持っての飽きっぽさが原因で退社。恥ずかしながら、あの頃は仕事をまったく楽しめていなかった記憶があります。

その後「人生をリセットしたい」という思いに駆られ、留学を決意。父に頼み込み、約半年間のロンドンでの生活が始まりました。しかし現地での生活も、順風満帆と呼ぶには程遠い状態。まず英語が話せないので、コミュニケーションがとれません。ロンドンに着いてすぐ、街の中心部に行ってみようとしましたが、切符の買い方も分からないし、どの電車に乗り、どう行けばいいかも分からない。そんな状態だから、すぐに引きこもり状態になってしまいます。何も喋れないし、何も買えない。仕方がないので映画でも見ようとしたものの、字幕がないから意味が分からない……。辛い時間が過ぎていきました。

しかし楽しかったこともあります。することがないので、幼少期からやっていたサッカーでもしようと考え、1000円もしない安物のサッカーボールを買います。道端で一人でボールを蹴っていると、少年が集まってきて、気づけば一緒にサッカーをやっていました。月並みですが、スポーツは国境も言葉も超える。それを実感した瞬間です。

そこからも現地で出会った人たちと、サッカーを通じて交流を図る生活が続きました。50歳くらいのフランス人と、またイギリスのサッカーチームのユースに所属していた若い韓国人と、その他にもドイツ人やブラジル人、声をかけてもらった日本人も含めて、多くの人たちとサッカーを楽しみ、互いに心を通わせることができたと思います。

はっきり言って、大きな成果があったかは分かりませんが、半年の留学生活を終え、帰国後に自動販売機の補充の仕事を始めます。しかしそれを見た彼女に「あなたが本当にやりたいのは、それなの?」と、またも叱責され、それをきっかけに「次こそは、本当に自分が興味がある仕事を」と一念発起します。

そうして面接を受けたのは、品川区の旗の台にあった“お直し”専門のアパレル系企業。50人ほどの社員を抱える中規模の会社でした。相変わらず、世間の常識の外で生きてきた私は、Tシャツとジーパン姿で、当時乗っていたビッグスクーターを会社の目の前に停めて面接に行きます。しかしそういった無礼な行為を“個性的”と好意的に評価していただき、30名いた面接者の中で、たった1人、採用されることに。懐の大きな当時の上司の方々には、感謝の念しかありません。

その会社では、地道に努力を重ね、上司たちからも高い評価をいただくようになり「後々は経営層に」と期待もかけていただいておりました。しかしそこで1年半ほど働いた2005年。親父から「そろそろ、うちの会社を手伝わないか」と打診を受けます。

前回も書いた通り、その頃の私には「父の会社を継ぐ」いう考えはまったくなく、製造業自体に興味も持っていません。最初は固辞したものの、父は若くから不摂生をしていたことを自覚していたようで、いつまでも自分が経営ができないと感じていたのか、諦めることなく誘い続けてきます。その要請に折れる形で、また「ずっと迷惑をかけてきたから、せめてもの親孝行を」という気持ちから、2006年の1月に三輝に入社。そこから2014年までは社員として勤め、その後、代表の職となり、現在に至っております。

次回は入社後の苦悩や、大ヒット商品となった『詰め替えそのまま』が生まれた経緯、さらに代表職についてから行った改革などの話を進めて行きたいと思います。

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